鷲見家とは?〜鷲見家のルーツ〜
みなさんこんにちは。鷲見家です。
鷲見家で「すみけ」と読みます。
さて、みなさんは鷲見家について何も知らないと思うので、鷲見家についてつらつらと書いてみようかと思います。
鷲見家のルーツは岐阜県土岐市にあります。そう、ご存知の方がいるかと思いますが、
美濃焼が盛んな町として過去は栄えておりました。
僕等の曾祖母、祖父母達は、第二次世界大戦前は岐阜県郡上市にいたそうですが、
国策に則って1945年に満州開拓民として日本の土地を売り払い、海を渡ったそう。
確か終戦の2〜3ヶ月前。満蒙開拓移民 - Wikipedia
満州についた途端、日本は連合軍に無条件降伏し、曾祖父母と祖母の家族は命からがら、ソ連兵に追われながら博多港まで帰ってきたそうです。
満州に行くまでは日本が負けるなんで考えてもいませんでしたから、本当に突然のことで、辛く大変な経験だったと思います。
満州から逃げて帰ってくる当時を詳細に記す曾祖母の自叙伝がこちら、
「禍転じて福となす」
戦時中、戦後の日本国民は誰しもが貧しく、明日生きられる状況ではなかったことは、小学校、中学校、高校の歴史で学びました。
でも、やはり自分の家族が、そのような環境下で必死に生きていた事実を知るとリアリティが違います。
我が事のように当時の生活を考え、曾祖母、祖父母に対し「生きて帰ってきてくれてありがとう」と深い感謝の気持ちが芽生え、今の自分達の生活を省みることができます。
ちなみに、僕等の曽祖父と祖母の弟は栄養失調にて満州で亡くなったとのこと。
鷲見家の夕食の時間は異様に長く、時には夕方17時〜23時まで、祖父母、親、子供で飲みながら色々な話をします。
その際、満州での出来事や、どのように逃げて帰ってきたか、そして日本に辿り着いてから、どのような生活を送ってきたか、そんな話をよく聞きます。
そう、鷲見家3人のルーツとなっているのは、そんな曾祖母や祖父母達の戦争体験記。
曾祖母達の戦争体験をリアルに知っているからこそ、普段の生活や仕事で「大変だな〜」って思うことが、全然苦に感じないと思っています。私生活や仕事が大変でも死ぬわけじゃないので。
コンビニに行ったらなんでも手に入る、スイッチを押せば電気が付き、部屋が暖かくなる、蛇口から綺麗な水がでる。
戦争当時のことを考えると、僕達世代は既に人生の「ボーナスステージ」にいるも同然な状態だと思います。
現状に感謝し、今ある生を一生懸命生きる。
鷲見家3人は、そんなことを戦争体験記から学び、今を生きる糧になっていると感じています。