【鷲見家長男の物語】就職活動を振り返って
おはようございます。鷲見家長男大地です。
今日はなぜ鷲見家の活動が始まったかということを書きたいのですが、その前に僕がどうやって生きてきたか、何を感じてきたかという経緯をご紹介したいと思います。
ちょうど3月に解禁した就職活動をしている学生にとっても少しは有益であればらと願います。
就職活動中の私
就職活動中の僕の頭の中を箇条書きにしてみます。
- 周りと同じなら安心で幸せ
- 挑戦して失敗するのが怖い
- 自分が何をしたいのか本当のところ良くわからない
まあ、こんな感じでしょうか。今振り返るともったいない就職活動だったということに尽きます。
周りと同じなら安心で幸せ
これは当時の僕の価値尺度をそのまま表していました。当時僕が同志社大学に在籍していました。
ゼミにも入っており就職活動期は動機と履歴書を見せ合ったり、先輩から模擬面接をしてもらったりかなり力を入れていました。
ゼミでは代々名だたる大企業に就職している先輩が多く。教授もそれを誇らしく僕らに語ってくれたことが鮮明です。
そんな環境にいるので、僕自身がエントリーをしている企業も必然的に大企業ばかりとなっていました。
そもそも、当時大学を見回しても、日本全体の学生を見渡しても、基本的には名を知っている大企業を目指す傾向は顕著だったと思います。なので、流れ的には仕方がないといったほうがいいかもしれません。
逆にいうと流れにのって自分の頭で考えなくなっていたと思います。(もちろん、全体がというわけではなく、今振り返って自分自身はそうであったという意味です)
挑戦して失敗するのが怖い
これが2つ目の価値尺度ですね。。今その姿勢が抜けたかは正直分からないですが以前よりは変わったと思います。
これは僕の幼少期からの環境が原因にもあると思います。
遡ると小学生のころからの原体験ですね。。
当時僕が通っている小学校は岐阜県時土岐市の小学校だったのですが、なんと全校45名程度の超小規模校でした。しかも同学年は僕含め7名。。
結果どうなったかというと、基本的にどのテストでも1番という感じでした。。そんな環境にいると自分はできるやつだという勝手なプライドがありました。
ちなみに、その小学校は現在は廃校となってしまいました。
話を戻すと、その流れは中学校でも続いきました。ちなみに、中学校は2つの小学校が合併してたので人は増えたのですが、それでも学年27人でした。なので、テストは基本的に1番。
しかも、その当時部活でバレーボールをやっていたのですが学校で初めて県代表に選ばれるという光栄なこともあり、自分自身の立ち位置が完全に確立してたんですね、、
で、じゃあなぜ挑戦しなくなったかというと挑戦しなくても目立ってたし満足してたからです。逆に言えば競争環境にさらされてなかったですね。
この傾向は高校以降でも残っていたと思います。最近少しは改善したと思うのですが、直近の挑戦についてはまた書きたいなと思います。
やりたいことがない
最後3つ目ですが、これは学生の頃の自分にとっては難しかっただろうなと思っています。
なんせ、周りと同じなら安心で、幸せという価値観なので。
結局全ての制約条件を取り払って考えてみないと分からないですし、長い人生を考えると自分がやるべきことを決めるための材料がまだ不足していました。
就職活動のタイミングで、心からやりたいことがある方は本当に素晴らしいと思いますし、逆に無い人は焦らなくてもいいんじゃ無いかなぁと思います。
僕個人については就職して感じたことが自分自身のことを深く考えることにつながり、やりたいことが見つかりました。それが鷲見家の活動ですねー。
紆余曲折を経るのも大切なことだと思います。
とりあえず今日はここまで